(c.)Sumio Nakagawa

キケロ 『アカテミカ後書』 (1)第一巻



訳・中 川 純 男

 I 1 先頃クマエ(2)の別荘に、ぼくも一緒だったのだが、アッティクス(3)が滞在していたとき、マルクス・ウァロ(4)から報せがあって昨日夕方ローマから着いた、旅に疲れていなければそのままぼくたちのところへ向うつもりだ、とのことであった。この報せを聞き、同じ勉学と古くからの友情に結ばれたこの友に会うことを一刻も猶予してはならないと考えたぼくたちは、急いでウァロのところに向かい、彼の別荘からあとわずかのところまで来たとき、こちらにやって来るウァロを認めた。友人の習慣通り抱き合い、ややあってようやくウァロの別荘に伴ない帰ったのであった。  まずは二言三言、次いでぼくたちの求めに、最近のローマの出来事を話しているとアッティクスが、「尋ねるも聞かしてもらうも煩らわしいだけのことは、もうやめにして。それより、ウァロ自身に何か変わったことはないのか聞きたまえ。今までになく長い間、ウァロのムーサたちは沈黙しているが、書くのをやめているのではなく、書いたものを隠しているのだとぼくは見ている。」ウァロが、「とんでもない。隠しておきたいものを書くとは節度を欠いた浪費であるというのがぼくの考えだからね。(5)しかしぼくには手がけた大仕事があって、しかもだいぶ前からなのだ。というのもこの友に、――とぼくのことを言ったのだが――捧げるつもりの書物があるのだが、大仕事であるとともに目下念には念を入れて仕上げ中というわけだ(6)。  そこでぼくが、「そのことなら、ウァロ、長いこと待ちかねつつ自分から要求するわけにもゆかないでいるのだ。というのもぼくたちの友リボ(7)は君も知っての通り勉学熱心で、勉学に関することならお互いの間で隠しごとなどできないのだが、そのリボから君が仕事を中断してはいないこと、それどころか細部にわたり点検中で手もとから離すこともないと聞いたのだ。ところでこれは今まで君にたずねようとは思いもよらなかったことなのだが、ぼく自身君と一緒に学んだことを記録にとどめ、ソクラテスから始まった、古い哲学(8)をラテン語の書で説明することを始めた今、たずねたい。君が多くの書を著しながら、このような種類の著述を顧ないのはなぜなのか。他でもない、君自身このようなことに優れ、この勉学に向けられた熱意と知識は、他のことへの熱意をはるかにしのいでいるというのに。」

 II 4 そこでウァロは、「それはぼくも何度となく考えをめぐらせた問題だ。だから躊躇なく答えよう。もっとも当面の考えだけをということになるが。というのも今言ったように、この問題については長い間かけてさまざまなことを考えてきたのでね。ギリシアの書で哲学がきわめて綿密に説明されているのを見るにつけ、ぼくは考えた。われわれローマ人の誰かが哲学の勉強に夢中になったとして、もしギリシアの学問を身につけた人なら、われわれの書ではなくギリシアの書を読むであろう。しかしもしギリシア人の学問、学説の嫌いな人なら、われわれの書とてギリシア的教養なしには理解できないのであるから、意に介さないであろう、と。このようなわけで、教養なくして理解できず、教養ある人は読もうとしないような書を書く気にはならないのだ。 5 君もぼくと同じ勉強をしたからわかっているだろうが、ぼくたちはアマフィニウス(9)ラビリウス(10)といった人たちのやり方をまねることはできない。いかなる専門的知識も持ち合わすことなく、卑近なものについて日常のことばづかいで論じ、定義も分類も、適切な推論をもって結論を導くことも何ひとつ行なわず、要するに話したり論じたりすることに特別の知識はないと考えている人たちのやり方をね。しかしぼくたちとしては、ぼくたちの学派が弁証学や弁論学(11)をいずれも特定の能力であると見なしている以上、弁証家、弁論家の命ずるところに、法に従うが如く従い、新たなことばづかいもせざるをえない。ところが、この新たなことばづかいというのを、今言ったとおり、教養ある人はギリシア人から得ようとするであろうし、教養なき人はぼくたちからも受け取ろうとはしないであろう。かくして、いかなる苦労も無駄な企てであることになるのだ。じっさい自然学について、もしぼくがエピクロスの立場をとるなら、ということはまたデモクリトスの立場をとるなら、アマフィニウスと同じく平明に書き著すこともできただろう。(12) というのも、もし作用を及ぼすものという意味での原因さえ我慢するなら(13)、微小物体――とアマフィニウスはアトムを呼んでいるが――の偶然の衝突を口にすることに何の困難があろうか。しかしぼくたちの自然学は君も知るように、作用を及ぼすものとこの作用によって形成される質料とを含んでおり、幾何学も用いなければならない。ところがこの幾何学をいったい誰がどのようなことばで平明に説くことができるだろうか。どのような人を理解に導くことができると言うのだろうか。そして、生き方と行状、求めるべきものと避けるべきものとについての学問の場合を考えても見たまえ。彼らは素朴に、動物と人間の善は同じであると考えているが、ぼくたちの方はどれぼど精密であるか、君も知っているだろう。 君がもしゼノン(14)に従うとしても、真実かつ純粋な善が何であるか人に理解させるのはたいへんだ。このような善は倫理性と不可分なはずだが、エピクロスは感覚に作用する快なしには(15)どのようなものか見当もつかないと言う。しかしもしぼくたちが古アカデミア派に従うなら――そして事実ぼくたちはこの立場をとっているわけだが――いかに細かい説明が必要なことか。いかに鋭く立ち入った議論でストア派を反駁しなければならないことか。このようなわけでぼく自身としては哲学全般にわたる研究を手がけ、可能なかぎり生の一貫性を得、精神のたのしみを得るためには、プラトンも書いているように(16)、これ以上大きく立派な神々から人間への贈り物はないと考えている。 しかし友人たちについては、もし哲学を学ぶ熱意があるなら、ギリシアへ遣っている。つまりギリシア人のところへ行くよう命じている。支流をたどるよりむしろ源泉から汲みとるためだ。ただ、誰も今まで教えたことがなく、志あって誰かから学ぼうとしても適当な人がいないことについてはぼくが、―――といっても自分の作品を過大に評価しているわけではないから、できるかぎりでということだが――われわれローマ人の知ることができるようにしたのだ。このようなことについてはギリシア人に教えを請うわけにもゆかず、かといってルキウス、アエリウス(17)なきあとはローマ人からも教えてもらえなくなっているからね。とはいえ旧著の中でも、メニッポス(18)をまねて――といっても翻訳ではないが――軽い冗談を散りばめはしたが、哲学の核心からもまた多くを取り入れるとともに、弁証学にかなった語り方も多用した。こういったことはぼくの追悼文の中にも書かれていて、それほど学識がない人でも読み心地のよさに誘われ、比較的容易に理解できるものであったが、『古えのこと』(19)の序では、ぼくのつもりとしては、哲学者のために書こうとしたのだ。」

 III 9 そこでぼくが言った。「そのとおりだ、ウァロ。じっさい、自分の町にあってあたかも旅人のように漂泊しているぼくたちを、君の書は自分の家に連れ戻し、自分たちは何者でどこにいるのか、ついに認知させてくれたのだ。祖国の古さ、歴史、祭儀と神職の掟、国内外の管理運営、国境の位置、神事人事に関すること一切の呼び名と類別、職割と責任を明らかにしてくれたのは君だ。また君はわがラテンの詩人、そもそもラテンの文学と語彙に大きな光をもたらし、自分でもほとんどすべての種類の韻律の洗練された詩を作り、哲学も多くの箇所で触れてはいるが、すすめとしては充分なものの究めるには不充分だ。 10 君の言う理由も一応はもっともだ。学識ある人ならギリシアの書を読むであろうし、ギリシアの書を知らない人ならラテンの書も読むことはないというわけだからね。しかしこれで充分な理由となっているだろうか。むしろギリシアの書を読めない人はラテンの書を読み、ギリシアの書を読める人は自国語の書も尊重するのではないか。じっさい、ギリシアの書を学んだ人が、ラテンの詩人は読むのに哲学者は読まないということの理由があるだろうか。エンニウス(20)パクゥイウス(21)アッティウス(22)など多くの詩人たちが人々を喜ばせているのは、まさにそのためではないか。彼らがギリシアの詩人の言語ではなく、精神を再現したからではないか。とすれば詩人がアイスキュロス、ソポクレス、エウリピデスをまねたように、哲学者がプラトン、アリストテレス、テオプラストスをまねるなら、いっそう人々を喜ばせることになるのではないか。弁論家の場合に、われわれの誰かがヒュペレイデス(23)デモステネス(24)をまねたなら、称讃を受けていることは事実ではないか。 11 ぼく自身のことをありのままに言うと、野心、名声、責任、国家への関心のみならず実際の政策への配慮がぼくに多くの職務を課し、身動きならぬ状態に置いていたときにも、哲学に対する関心は秘かに持ち続けていたし、鈍らないよう機会あるごとに書物を読んでは新たにしていたのだ。しかし今、運命の深刻な傷を負い(25)、国家連営の業務からも解放されて、苦痛の治癒を哲学に求め、哲学こそもっとも真正な余暇のたのしみ方であると判断しているのだ。じっさい哲学することは、この齢に一番ふさわしいことであるか、あるいは多少とも誉めてもらえるようなことをしてきたとすれば何より似つかわしいことであるか、あるいはぼくたちの同国人を教えるにこれ以上有益なものはないか、あるいはこれらいずれの理由も当てはまらないとすれば、他にできることが見当らないからね。 12 ぼくたちのブルトゥス(26)も、多方面で営讃を得ているすぐれた人物だが、ラテン語の書で哲学を遂行し、同じ問題についてはもはやギリシアの書を欲しがる必要のないところまで究めたが、やはり君と同じ意見を持っているではないか。ブルトゥスがかなりの間アテナイで学んだアリストン(27)は、君が学んだアンテイオコス(27)の兄弟だったのだからね。だから君にも、そのような書物を書くことに専心して欲しいのだ。

 IV 13 そこでウァロが、「君の言うことは考えてみよう。もちろん君の意見を聞きながら、ということになろうが。しかし君の方はどうなんだ。聞いていることがあるのだけれど。」ぼくが、「いったい何のことかね。」ウァロが、「古いアカデミア派をそのままにして、新しいアカデミア派を論じているということだ。」ぼくが、「そう、考えてもくれたまえ。ぼくたちだったら古い家から新らしい家へ引っ越すことができるのだが、ぼくたちにも親しいアンティオコスはむしろ、新らしい家から古い家に引っ越す(28)ことの方が簡単だったのだろうか。何にしても新らしいものの方が一番よく修正されていることは確かであるのだからね。もっともアンティオコスの師フィロン(29)は、君の評価している通り偉大な人物であるが、その書の中で、ぼくたちが公開の席で本人の口からも聞いたように、二つのアカデミア派があることを否定し、そのように考える人の誤りを譴責しているけれども。」ウァロが、「君の言う通りだ。しかしフィロンのその主張に対しては弟子アンティオコスが反論を書いたのを君も知らないわけではあるまい。」  14 「いや、その点も含めて、久しく遠さかっていた古アカデミア派の全貌を、もしたいへんでなければ、思い起こさせてくれないか。そして、ついでだか、腰掛けることにしないか」とぼくが一声った。ウァロが、「そうしよう。ぼくとしてはまだ多少疲れも残っているから。しかしまず、アッティクスも君と同じことをぼくに望んでいるか、聞いてみようじゃないか。」アッティクスが、「異存ないとも。昔、アンティオコスから聞いたことを思い出すとともに、それがラテン語でも適切に語りうるものか確かめることに優先する何があろう。このように話した後、ぼくたちはお互いよく見える位置に座った。

 15 ウァロが次のように口火を切った。「これはぼくの考えであるとともに誰もが認めていることだが、ソクラテスか最初にそれまですべての哲学者がたずさわっていたこと、自然によって包み隠されていることから哲学を呼び戻して日常の生へ向け、徳、悪徳を始めとする善悪全般を探求して、天界のことはわれわれの認識から懸け離れており、もしかりに可能なかぎり知られたとしても、善く生きるには何の役にもたたないと考えた。 16 ソクラテスの話したことは、それを聞いた人がさまざまな書物に詳しく書きとめているが、ほとんどいつも、自分では何も断言することなく他人を反駁するという論じ方であって、ただひとつの点を除いて自分は何も知らないと言うのであった。すなわち、それこそソクラテスが他の人に優っているとする点なのだが、人々は自分が知っていないことがらを知っていると思っているが、自分は自分が何も知っていないという、このひとつのことだけを知っており、まさにこのゆえに自分はアポロンにもっとも知恵ある者と言われたのだと考え、知らないことを知っていると考えないというただこのことが知恵のすべてであると考えた。このようなことをソクラテスは語り続け、終始この意見に留まったが、その話すことは徳を称え、人々を徳の追求に励ますことのため費されていること、ソクラテス学派の書、とりわけ、プラトンの書から察しうるとおりである。 17 この多才多作なプラトンを祖として、呼び名は二つだがひとつの整合的な哲学の形態が始まった。それがアカデミア派とペリパトス派であり、内容は一致しているものの名は異なっていたのである。というのも、プラトンは妹の子スペウシッポスを哲学のいわば相続人として後に残したが、また別に、学識において卓越したふたりの人物、カルケドンのクセノクラテス、スタゲイラのアリストテレスを残した。そしてアリストテレスとその仲間は、リュケイオンの中を散策しながら議論したからペリパトス派と言われ、またアカデミアに、プラトンの創設したもうひとつの学校で会合し、論義していた人々もその地の呼び名から名を得ることになった。しかしいずれもプラトンの豊饒に満たされて一定の教説を形成することになり、自分たちの教説をいっそう充実し完成したものにこそしたが、ソクラテスのすべてについての疑い、および一切の断言をひかえて論ずる習慣とは捨ててしまった。このようにして、ソクラテスは決して認めようとしなかったことではあるが、哲学という専門知識、一定の問題配列、教説の体系的叙述が成立したのである。

 18 これらの教説は今も言ったように、もともと名は二つであったが内容は一つであった。ペリパトス派と古アカデミア派との間に、何ら相違はなかったのである。ぼくの見るところでは才能の豊さの点で、アリストテレスの方が優っているが、しかしいずれも源は同じであり、求めるべきものと逃れるべきものについても同じ区別をしていたのである。」

 V ウァロはここで、「それにしてもぼくがしているのは何なんだろうか。こんなことを君たちに教えているぼくは、気が確かなんだろうか。いわゆる「豚がミネルウァを」とまでは言わないにしても、ミネルウァに教える者は愚かであることを免れえまい。そこでアッティクスが、「とにかく続けてくれたまえ、ウァロ。ぼくとしてはわれわれラテンの作品も作者も大好きなのだ。君の話してくれる内容も、ラテン語でそのように語られるとうれしいのだ。」ぼくは、「ぼくだってそうさ。なにしろぼくはすでに、わが国民に哲学を紹介すると公言している身なのだからね。」ウァロが、「君たちが気に入ってくれるのなら続けることにしよう」と言った。 19 「プラトンから受け継がれた哲学の論点は三つあった。一つは生と行状について、第二は自然およびその隠れたことがらについて、第三には何が真で何が偽か、話しにおいて何が正しく何が誤っているか、何が論理的で何が矛盾しているかを論究し判断することについてである。第一の、善く生きることについての部分はその根拠を自然本性に求め、自然本性に従うべきであって、すべてを関連、つけるべき最高善は自然本性以外のものに求めるべきではないと主張し、求めるべき究極のもの、終極にある善は、精神に関しても身体に関しても生活上必要なものに関しても、すべて自然本性にかなった仕方で獲得されるとの説を確立した。身体に関する善には、全体におけるものと部分におけるものとがあるとし、全体における善とは、健康、力、美しさであり、部分における善とは、欠けるところのない感覚器官、各部分それぞれの優秀性、たとえば脚の場合は速さ、腕の場合は力、声の場合は明瞭さ、舌の場合は声に明確な区切りを付与できることである。 20 精神の善とは、生まえつきの許すかきり徳を手に入れることができる力であって、これはさらに自然本性と行状とに分けられる。自然本性に属するとされるのは、学びの速さ、記億力であり、これらはいずれも精神に固有の持って生まれた能力である。行状に属するのは勉学の熱意および一種の習慣であって、これは怠りなき訓練と推論とによって形成され、哲学はここに成立する。哲学において、始められているが終えられていない状態は徳を目指してのいわば前進と呼ばれ、終えられた状態すなわち徳は、自然本性のいわば完成であり、精神に置かれるさまざまな資質の内、最善無二のものである。ここまでが精神の善だ。 21 次に、生きるため必要な善について、ということは第三の部分についてであるが、これはを発揮するに有効なもののことである。というのも徳が明らかとなるのは、精神および身体のさまざまな善が具わっているとともに、自然本性にとって必要というよりむしろ幸福な生のため必要な善が伴なっている場合だからである。そして人間は国家すなわち全人類の一部分であり、他の人間と一種の仲間関係により結ばれていると見なした。最高善すなわち自然本性的な善については以上のように論じ、他のさまざまな善、たとえば財産、権力、名声、恩恵などは最高善に付加されるべきもの、ないし最高善を保持するためのものであると考えたのである。このようにして、善に二つの論点が区分されることになった。」

 VI 22 「これはまたペリパトス派の主張と多くの人が見なしている三つでもある。そしてそのように見なすことは間違っていない。じっさいその分け方はペリパトス派のものでもある。しかし先のアカデミア派とこのペリパトス派とが別であると思うなら、それは無知というものだ。この分け方は両派に共通であり、いずれも善の究極は自然本性において第一のもの、すなわちそれ自体として求められるべきもののすべて、ないし最大のものを手に入れることであると考えており、最大の善とは精神における、すなわち徳における善であると考えているからである。 23 だから昔の哲学は皆、幸福な生を徳においてのみあるとし、ただ先に述べた身体の善など徳を発揮するに有効な善が付け加わらなければ最高の幸福ではないと考えていたのである。以上の概要から何かを行なう場合また務めを果たす場合の出発点が得られることになる。自然本性の命ずることを順守することにその出発点はあるからである。ここから怠惰を逃れ欲望を軽視することになり、さらに、正しいこと立派なことのためまた自然本性の草案通りのことのためには多大の労苦をも引き受けることになった。友情も正義も公平も自然本性の草案にもとづいて発生したのである。だから欲望や生活上の快適さより優先されるのである。これが彼らの倫理の体系であり、先にぼくが第一とした部分の慨略である。」

 24「次は自然についてということになるが、アカデミア派の主張はこうだ。自然というものは二つに区分される。ひとつは作用するもの、もうひとつはこの作用するものに言ってみれば自分を差し出し、結果としてそこから何かが造り出されることになるものである(30)。そして作用するものにあたるのは〈力〉であり、作用されるものにあたるのは〈質料〉とでも訳すべきものであると考えたのだ。もっともこの二つは別々にあるというのではない。〈力〉の働きに包みこまれていなければ質料というものが存在することはできないであろうし、質料なしの力についても同じことだからだ、いかなるものも存在する以上、どこかに存在するのでなければならないからだ(31)。そして両方からできているものは、もはや質料とでも力とでもなく、物体とか特定の性質を持ったもの(32)と名づけるのである。馴みのないことがらには聞き慣れない名を使っても、君たちなら認めてくれるだろうね。このような問題を論じてすでに長いギリシア人もやっていることなのだから。」

 VII 25 アッティクスが、「もちろんだとも。もし適当なラテン語が見つからないようならギリシア語だって使ってかまわないよ」と言った。ウァロは、「ありがとう。何とかラテン語で話してみよう。もっとも〈哲学(ピロソピア)〉とか、〈弁論学(レトリカ)〉、〈自然学(ピュシカ)〉、弁証学(ディアレクティカ)〉のように、すでにラテン語として用いる習慣の定着している語は別だけれど。今ぼくが性質を持ったものと呼んだのはギリシア人が〈ポイオテテス〉と言っているもので、ギリシア語それ自体日常用語ではない。哲学者のことばなのだ。こういったことは他にもよくある。とくに弁証家の用語は、すべて公共性のない自分たちだけの用語だが、これは多かれ少なかれ、すべての学問に共通の事態なのだ。新らしいことがらには、自分で新らしい呼び名をつけるか、他から転用するかしなければならないからね。すでに幾世代にもわたって学問にたずさわってきたギリシア人がしているのだから、今やっと手をそめたばかりのぼくたちにも同じことが認められて当然ではないか。」 26 ぼくが、「もちろんだとも、ウァロ。それどころかもし君がわれわれローマ人を知識の点で豊かにしてくれたように、ことばに関しても豊かにしてくれるなら、わが国民に対する寄与大なるものがあるだろうと思う」と言った。ウァロは、「君がそう言ってくれるなら、必要に応じて新らしいことばを使う勇気もでようというものだ。ところでその特定の性質を持ったものだが、これには一次的なものとそこから派生したものとがある。一次的なものは単純単一で変化しないが、派生したものの方は多種多様、しかも言ってみれば特定の様態を持っていない。そして、空気(アエル)――このことばはすでにラテン語として用いられているが、―――火、水、土は一次的なもの、様々な種類の動物また土から生え出てくるものなどは派生したものである。一次的なものは根源とか、またギリシア語を直訳するなら元素(エレメンタ)(33)と言われ、その内空気と火は動かす力、作用する力を、他の二つすなわち水と土は受け取り作用される力を具えている(34)。これに対し、天体や精神を構成している第五の元素(35)は特別で、今までの四つとは似ていないというのがアリストテレスの考えであった。 27 しかしアカデミア派は、すべてのものの基に、形状もまた例の〈性質〉――このことばを頻繁に使って馴むことにしよう――も一切持っていない質料があると考え、すべてはこの質料が作用を受けて一定の形状をとった結果であり、質料は一つのものでありながらその全体があらゆる形状を受け入れ、あらゆる部分があらゆる変化をしうるものであり、しかもまた滅びることもありうると考えた。ただし滅びるということは無に帰することではなく、その部分に帰することであり、それそれの部分はまた無限に分割されうるのであって、もはや分けられない最小のものなどおよそ存在しないのである。動くものはすべて間隔を動くが、この間隔というものは無限にどこまでも分割されうるからである、という。 28 そして先に性質と名づけた力は、ちょうどそのように動いており、たえず震動しているので、質料もその全体が変化させられて、特定の性質を持っていると呼ばれるものができ、それらが自然の全体に行きわたった統合する働きのおかげで互いに連なり合って、それらすべてを部分とする一つの世界(36)ができたと考える。世界の外には質料も物体も一切存在せず、世界の部分はいずれも世界の内に存在しているものであって、自然の知覚する働きにより保たれていると言うのだ。自然にはまた完全な理性(ラチオ)が具わり、しかもこの理性は永遠である。それを滅ぼすはどの力を持ったものは何もないから だ。 29 この理性は世界の魂と言われ、また精神とも完全な知恵とも言われる。神と呼ぶのもこれのことで、その下に服するすべてのものを気づかう思慮のようなものとして、まず天体を摂理し、次いで地上の人間界を摂理している。また必然と呼ぶこともある。この理性により決定されている以外のことが、永遠の定めの運命的不可変的連鎖のいわば間隙をかいくぐってといった仕方で、起ることは決してないからである。また時として偶然とも呼ばれるが、それはわれわれがものごとの原因をよく知らないため、あるいはまったく知らないため、われわれにとっては思いがけず予想外なことを数多く引き起すからである。

 VIII 30 次に哲学の第三部門だが、これは推論および弁証にかかわる部門であり、いずれの学派もこう言っている。真理の判定は、感覚に起源を持つとは言え、感覚において成立するのではない。ものごとを判定するのは精神である、との立場を両学派とも採用する。精神のみが、常に単純一様で同一のあり方を保っているものを見ることができるのだから、信頼するに足るのは精神だけであると考えたのだ。このものを彼らは、プラトンの命名通りイデアと呼んでいるが、ぼくたちとしてはスペキエス(形姿)と訳して間違いなかろう。 31 これに対し感覚は、いずれをとっても鈍く遅いものばかりで、普通感覚の領域にあるかのように思われていることもそれを感覚が捉えることは決してできないと考えた。あまりに微細で感覚の視野に入ることがないか、あるいはあまりに素早く動きまわっているため、一つのものとして留まっていることがなく、それどころかすべてがたえず流動しているからには同一のものなど存在しないから、と言うのである。そこでこういったことがらの全体を憶測(37)の領域と呼んだ。 32 知識が成立するのはただ、精神におけるる観念と推論においてのみであると考えた。そこでことがらの定義というものを認め、取り扱おうとするすべてのことに定義を適用したのである。さらにまたことばの釈義も認めた。すなわち、それぞれのものが名づけられるに至った理由のことであり、これを〈エテュモロギア(語源論)〉と呼んだのである。その上で明らかにしようと意図することを証明し帰結させるため、導きとなるしるしとして、ことがらの標識として用いた。ここに弁証学すなわち推論形式をとった語り方の伝統が全体として完成し、それにいわば対をなすものとして人を説得するに適した連続的な話し方の説明として弁論学が付け加えられることになった。 33 これがアカデミア派の当初プラトンから受け継いだ哲学の形態であるが、それがどのように変っていったか、君たちさえよければ、ぼくの知っている範囲で話そう。」

 「ぼくたちは、――とアッティクスの分も答えるなら、そうしてほしいとも」とぼくが言った。アッティクスが、「そのとおりだ。ペリパトス派とアカデミア派の本来の教えについて、実に見事な説明だったからね。」

 IX 「プラトンが異常な熱意をもって擁し、神的なものさえ含まれていると言うほどであった先ほどのイデアを、最初に揺がせたのはアリストテレスであった。ところがテオプラストス(38)は、弁論に巧みで誠実と上品を絵にしたような物腰の人であったが、いっそう強力に古い教えの内容を打ち砕いたと言ってもよかろう。幸福な生はただ徳においてのみ成立するということを否定して徳の女神からその栄誉を剥奪し、無力にしてしまったのだからね。 34 テオプラストスの弟子ストラトンは、鋭い才能の人ではあったが、この学派の伝統からはずさなければならず、話しは別だ。徳や倫理を扱う哲学のもっとも必要な部門を顧みず、自然の探求に没頭し(39)、しかもその内容において仲間とは完全に離れてしまったのだから。プラトンの教えと哲学の区分をそのまま受け継いだ最初に位置するのはスペウシッポス(40)クセノクラテス(41)であり、さらにその後のポレモン(42)クラテス(43)、そしてクラントル(44)は、アカデミアに群れ集い、それぞれ先人から受け取ったことを忠実に守ったのである。 35 さて、ポレモンに就き熱心に学んだのがゼノンとアルケシラス(45)である。アルケシラスより年長で論ずるに厳密、才気換発なゼノンは、学派の教えを修正しようと企てた。よければこの修正について、アンティオコスから間いたとおりに説明するが。」「そうしてくれたまえ。見てのとおり、ポンポニウスもうなずいているのだから」とぼくが言った。

 X「ゼノンはテオプラストスのように徳の健を切断し無力とするような人ではなかった。むしろ反対である。幸福な生を実現するに必要なものはすべて徳に含まれているとし、徳以外のものは善に教えず、純粋かつ唯一の善、それを誠実(46)と呼んだ。 36 これ以外のものは善でも悪でもないがしかし、そのあるものは自然本性に適合したもの、あるものは自然本性に反したものであると言う。そしてもうひとつ、これら二つの間に介在するもの、中間的なものを加えた。自然本性に適合したものは選ぶべきもの、一定の価値を認めるべきものであり、自然本性に反するものはその反対であると教え、これらいずれでもないものは中間に放置した。まったく重視していなかったのである。 37 それはともかく、選ぶべきものにはより高い価置を認めるべきものと低い価置しか認めるべきでないものがある。高い価値を認めるべきものは優先的なもの、低い価値しか認めるべきでないものは斥けられるものと呼んだ。この点は実質的な変更というより呼び名の変更にすぎないが(47)同じように呼び名だけを変えて、正しい行為と誤った行為との間に中間のものとして務めと務めに反する行為とを置き、正しい行為のみが善く、間違った行為つまり誤りは悪く、務めは果されるにしろ怠られるにしろ善悪いずれでもない(48)と考えた。これは今言ったとおりだ。 38 また、先人たちは徳のすべてが理性のみによって成立するわけではなく、自然本性や行為によって完成する徳もあると言っていたが、ゼノンはすべての徳を理性の内に置いた。先人たちは、今言った理性によらない徳は区別し独立させることができると考えていたが、ゼノンはそのようなことは不可能であると主張し、先人たちが考えていたように徳を発揮することが立派であるのはもちろんだが、徳は具えているだけでも立派である、ただし、たえず発揮することなくして徳が具わっているといったことはない、と主張した。また先人たちが人間から魂の撹乱を取り去ることなく、悲しんだり欲情を抱いたり怖れたり喜んだりするのは本性的なことであると言い、抑制し制限していただけであったのに対し、ゼノンは、これらはすべて病いのようなもので知者にはない、と考えた。 39 また昔の人は、そのような魂の撹乱は本性的なことだが理性の関与しないことであり、欲情と理性とは魂の別々の部分にあるとしたが、この点もゼノンは同意しなかった。なぜなら撹乱も意志しだいである、憶測に基づく判断によって抱かれるのだから、すべての撹乱の生みの母は節度を欠いた無思慮であると考えたからである。以上が倫理についての概要だ。

 XI 次に自然についての見解を紹介しよう。まず第一の点は、周知四つの根源の他に、先人たちが感覚や精神を構成していると考えた第五の根源を加えなかったということだ。火がそれにあたるとしたからだ。火はすべてのものを生みだす、感覚や精神も生みだす。また、物体性を具えていないものはいかなる作用も及ぼすことができないと考えた点でも意見を異にする。クセノクラテスや先人たちは、精神もそのようなものであると言っていたのだ。しかしゼノンは、何らかの作用を及ぼすものも受けるものも物体以外ではありえないと考えた。 40 哲学の第三部門に関しては実に多くの変更を加えた。そもそも感覚について、新らしい説を立てたのだ。感覚は複合体であり、一方では外からもたらされた一種の刺激から成る。これをゼノンはパンタシアと呼んだが、われわれは表象と呼び、これを定訳としよう。今からの話しの中では頻繁に使わなければならないからね。それはともかく、この表象、感覚にいわば受け取られたものに、精神の同意を結び合せ、こちらの方はわれわれの内にあってわれわれの意志にかかっているとしたのだ。 41 ただし、表象のすべてに承認を結びつけたわけではなく、見られている当のものに固有の標識を具えた表象のみに承認を結びつけたのである。このような表象は、それ自身によって識別されたもので、〈捉えられうるもの〉(49)と呼ぶわけだが、この訳語で差し支えないかね。」「もちろんだとも。いったい他に、〈カタレプトン〉をどう訳すことができるかね」とアッティクスが言った。「で、それがすでに受け取られ同意されたときに、把握と呼んだ。ちょうど手で掴まれたものに似ているからね。名前の由来もここにある。このことばをこのようなことがらに適用した人は以前にはなかったが、ゼノンは他にも数多く新らしいことばを用いた。言っていることがらそのものが新らしかったからだ。さて、その感覚によって捉えられたこと、これを実は感覚と呼んだのであり、もしそれが理性によって覆されないほどに捉えられているなら知と呼び、そうでない場合には無知と名づけた。無知からさらに憶測が生まれるが、億測とは無力で偽あるいは無知ととなり合せのものである。 42 ところで先はどの把握は、知と無知との中間に置かれ、それ自体は正しいことでも間違ったことでもなく、ただ信頼すべきものであると言う。その結果、感覚に信頼性まで認めることになったがそれは今も述べたように、感覚から形成された把握が真であり信頼できると考えたからであって、ことがらを全面的に捉えているからではなく、把握の内に入って来うるものをひとつも取り逃さないからであり、そのようなものこそ自然がいわば知の規準として、最初の手がかりとして与えたものである。そこから次にはものごとの観念が精神に刻みこまれ、観念から今度は手がかりのみならず、論理性を発見するに至る広い道が見出されることになる。これに対し、誤り、軽卒、無知、憶測など、要するに確固とした同意に無縁のことは徳からも知恵からも遠ざけた。これでゼノンの変更した点、先人と意見の異なる点は尽されたかと思う。

 XII 43 ウァロが言い終えるとぼくが、「古アカデミア派とストア派の学説についての実に簡潔明瞭な説明だった、ウァロ。けれどもぼくとしては、ぼくたちの共通の友人アンティオコスの意見どおり、ゼノンの教えは何か目新らしいものではなく、むしろ古アカデミア派の修正(50)と見なすべきと思うのだけれど。」するとウァロは、「今度は君の番だよ。君は昔の人の学説を離れ、アルケシラスの改革した学説を承認しているのだから、この離反の内容と理由は君が説明してくれたまえ。そうすればこの離反が完全に正当なものであったか見ることができるだろうからね。 44 そこでぼくは、「ぼくたちの聞いたところでは、アルケシラスの意図はゼノンと全面的に対決することにあった。といってもそれは古きを守らんがため、負かさんがためではなかったとぼくは思う。問題のことがらそのものが不分明だったのだ。なにしろそれはソクラテスに無知の告白を余儀なくさせたのだからね。しかもすでにソクラテス以前に、デモクリトス、アナクサゴラス、エンペドクレスなど、昔の人はほとんど皆、何も知られえない、何も捉えられないと言い、感覚は狭く、精神は弱く、人生は短かく、デモクリトスのことばを借りるならば真理は深みに沈んでおり、すべては憶測と習性におおわれ、真理に残されたものはなく、かくしてすべては闇に粉れている、と言っていたのだ。 45 そこでアルケシラスは、そもそも何か知られうるようなことがらが存在するということを認めず、ソクラテスが唯一自分に残しておいたことさえ認めなかった。こうして、すべては隠れていると考え、識別可能、認識可能なものは何ひとつ存在せず、したがって何ごとも断言したり肯定したりすべきではなく、また同意しつつ認めてもならない、いつも同意を控え軽卒に陥らないよう慎むべきであると考えた。偽なること知られざることを認めることこそ軽卒の極みであり、認識、把握に同意、肯定が先行するほど醜悪なことはないと言うのだ。アルケシラスはこの理論を忠実に実践し、あらゆる人々の見解を反駁して多数の人を自分の理論へと導いた。同じことがらについて相反する論が同等の重さを有していることがわかるなら、いずれへの同意も控えることは容易だった。 46 この人々が新アカデミア派と呼ばれているわけだが、ぼくは古アカデミア派だと思う、というのもプラトンを古アカデミア派のひとりに数えるなら、プラトンの書では何ひとつ肯定されず、賛否双方を支持する多くの論が立てられ、すべてが探求途上にあって確定したことは何ひとつ言われていないからだ。けれども一応、君が説明したのを古アカデミア、これを新アカデミアと名づけておこう。新アカデミアは、アルケシラスから四代目のカルネアデスに至るまでは、アルケシラスの立場を踏襲していた。ところがカルネアデスは、哲学全般に通じた人であったが、ぼくが本人に直接学んだ人から、とくにエピクロス派のゼノンから聞いたところによると、ゼノンは多くの点でカルネアデスに同意できなかったが、ひとつだけ人並はずれていると感心したのは、カルネアデスが信じられないほどの能力の持ち主で・・・(51)     (完)